国史跡「永納山城跡」をウォッチング

2024年8月10日 12時12分
活動の様子

10日(土)、今から約1361年前に築かれた「古代山城」と呼ばれる城、永納山を視察しました。古代山城は、現在のところ西日本を中心に25カ所しか発見されていません。愛媛県では永納山城1カ所のみで、四国でも3カ所しか確認されていません。当時の日本は中国や朝鮮半島の国々との交流が盛んでしたが、朝鮮半島では新羅・百済・高句麗の三国が半島の統一を目指し争い、中国では唐が勢力の拡大を図っていました。このような中、唐と新羅が手を組んで百済を滅ぼすという出来事が起こりました。百済は復興の応援を日本に頼み、日本はこれに応え、半島に兵(つわもの)を進めることとなりました。その結果、歴史の教科書にも登場する大事件、「白村江の戦い」が起きたのです。これが西暦663年の出来事であり、その結果、百済・日本の連合軍は敗れてしまいました。日本はこの敗戦により、唐や新羅に侵攻される危険性が出てきました。

これらの危機に対処するために西日本の要所に城を築きました。これらの記事は「日本書紀」に記されています。すべての城の名が記載されている訳ではないのですが、現在確認されている古代山城はこの大事件を前後する時期に造られたと考えられています。昭和52年に発見されたこの古代山城は、それ以降徐々に調査され、現在もなお継続中のようでした。西の登山口から永納山山頂を経て東の登山口に至る山道が整備されており、これを利用する見学コースを歩きながら、古代にタイムトリップすることができました。平和のありがたさを改めて実感した一日でした。

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