【大谷池】近代農業へ、赤レンガ樋門(ひもん)の登場
2024年12月26日 07時30分「すずめの戸締り」聖地巡礼(舞台探訪)を兼ねてソーシャル・リサーチPart②を行いました。61番札所香園寺の奥の院へ向かう途中、右手に、ため池が見えます。農業用の灌漑施設、大谷池です。建設当時は県下最大の池と言われましが、その実現に際しては、農業の生命線である水を確保するための苦難のドラマが展開されています。時の小松村助役、村上善助氏は、県技手に設計調査を依頼し、200haの灌漑予測を立て、村議会で決議するが、下流域住民の反対嘆願書などがあり、計画は頓挫しています。明治42年に耕地整理法が施行されることにより、灌漑計画の機運が再浮上し、住民に堤防の安全性を説得、理解を得ています。今から111年前に設立され、築造工事が開始されています。3年後に完成、南川・新屋敷の農地100haがその恩恵を受けることになります。レンガ造りの樋門はイギリス積みで、キーストーン(要石)のほどこされた排水口のアーチ両サイドには、「大正3年築造」と「監督設計技手小田切豊吉」の名が刻まれています。このモダンな構造物は、近代農業へと進化した時代を写し出す場所であることは間違いないです。地域に多くの貢献をした人物の足跡をたどり、その労苦を讃えたいと思います。生徒の皆さんには、冬季休業中に歩いて地域の名所を巡る(ウォッチングする)ことをおすすめします。