養正が丘にある黒川通軌の墓所清掃活動(1月28日)参加生徒募集中!
2022年12月18日 13時43分12月18日(日)、小松藩主一柳家の墓所を清掃している様子です。この充実感を味わってもらうため、1・2年生の県学力テスト実施後、1月28日(土)15:00~16:00清掃活動を行います。(更衣をして、14時50分に最終出入口付近に集合)参加を希望する生徒は、ホームルーム担任の先生に申し出てください。3年生は学年末考査中ですが、ぜひ掃除をして心と体をリフレッシュしてくださいね。ここで、篤山先生を祖とする小松の学風が育てた偉人の一人、陸軍中将・黒川通軌(みちのり)を紹介します。
~小松ゆかりの幕末の志士~小松藩では幕末に「勤王の志士」を輩出しており、「禁門の変」で奮闘した田岡俊三郎等が有名ですが、勲一等旭日大綬章を受章、明治20(1887)年に男爵を叙爵し、華族となる黒川通軌中将もその一人です。近藤篤山先生の長子・南海先生に学び、田岡などとともに幕末の国事に奔走した後、新政府に出仕、明治6年には陸軍大佐に補されます。薩長土肥が要職を占めていた当時は、異例の人事で、彼の有能さを物語っています。西南の役でも、第2旅団等を率い、九州各地を転戦した記録が数多く残っています。その功績で陸軍少将に昇進し、明治18年(1885)には中将となります。その後、名古屋鎮台司令官、第3、第4師団長などを経て、明治26(1893)年、東宮武官長(皇太子の軍務について奉仕する職)兼東宮大夫に就任し、皇太子(後の大正天皇)のそばに仕えます。この要職を約4年間勤め、病気のため休職・帰郷し、明治36(1903)年に小松で没しました。養正ケ丘にある墓前には、 大正天皇から下賜された石灯籠一対があります。
生徒の皆さんの積極的な参加を待っています!3月には、「藩主の墓所を守る会」の皆様と清掃活動を予定しています。地域貢献活動(サービス)に加え、歴史のお話(ラーニング)も聴ける素敵な活動ですよ。教職員の先生方も奮って御参加ください。